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●日経スペシャル カンブリア宮殿 「熱狂店舗 〜常識を激変させる『店』作り」 ハンズマン社長・大薗誠司

◎熱狂!売り場革命
15年連続増収!既存店の売り上げも来客数も伸び続ける、九州で急成長中のホームセンターが「ハンズマン」だ。常識外れの売り場を訪れた客は、“ハンズマン信者”になる!ここまで客を熱狂させる究極の顧客主義とは!? 壮大な売り場と圧倒的なサービスを人はこう呼ぶ…「小売のディズニーランド」。

◎驚異!20万アイテムの品揃え
ハンズマンの品揃えはなんと20万アイテム!通常のホームセンターの5倍だ。DIY用品、ガーデニング用品、台所用品、インテリア用品、農業資材、カー用品などホームセンターの基本的な品揃えハンズマンのすごさは品揃えの細かさだ。ペンチだけで350種類、シャープペンシルに付いている替え消しゴムが34種類!植物園のような吹き抜けのガーデニングコーナーには植物が3000種類。さらに綱引き用のロープ、マラソン大会の折り返し地点用のコーンまで、本当に何でもあるホームセンターなのだ。その秘密は客から寄せられる入荷要望メモだ。店員が聞き取って集める要望メモは1カ月で電話帳5冊分にもなり、年間約1万点の商品が新たに入荷する。さらに驚くのは商品のパーツ売りだ。「手袋」は片方だけ、「放水ノズル」の部品だけ・・・通常はセット売りするものも客の要望があれば、何でもバラして「部分売り?小分け売り」をしてしまう。

◎ハンズマン流顧客主義の売り場作り
店舗の設計はすべて社長の大薗自身が手掛ける。見やすさに徹底的にこだわったっている。客から見やすい店内の高い位置に、商品そのものが美しくディスプレーされ、店員の案内がなくても客は目的の商品の売り場まで自動的に到着する仕掛けになっている。どんなに商品が増えても、改装専門部隊が見やすい商品の並べ方を常に改善し続けている。ちょっとした棚の高さや角度の変更や商品陳列の改良…店舗を歩く客の心理に合わせた売り場作りがハンズマンの売り上げを伸ばし続けている!

◎客を“ハンズマン信者”にする究極の親切・丁寧接客
ハンズマンの接客ポリシーは「客に尽くせ!」。店内に配置された店員の数は平均的なホームセンターの3倍。さらに店のいたるところに「店員呼び出しボタン」が設置され、ボタンを押せばすぐに駆けつけ接客する仕組みになっている。どんな質問にも答えられるよう、メーカーの技術者を呼んで商品の勉強会が開かれている。壊れた農機具を持ち込んだ客がいたら、分解してパーツを取り替えて修理。仕入れられない隣町のゴミ袋が欲しいと言われれば、隣町のスーパーで買って同じ値段で販売する。品揃えだけじゃない、店員力が“ハンズマン信者”を生んでいる。

≪ゲストプロフィール≫
1969年 宮崎県生まれ
1993年 慶応大理工学部卒、三和銀行(現・三菱東京UFJ銀行)入行
1995年 当時2店舗だったホームセンターを営む実家に戻る
2006年 父・明照氏の後を継いで社長に就任

≪企業情報≫
1914年 建材卸売り業として創業
1986年 ホームセンターとしての店舗展開を開始
2000年 JASDAQ上場

事業内容: 宮崎地盤の中堅ホームセンター(現在九州に9店舗展開|日曜大工(DIY)用品、工具、インテリア用品の大型チェーン)
売上高: 213.92億円(2010年6月期)、15年連続増収
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2010-09-20 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「売れる雑誌を創れ!宝島社の挑戦」 宝島社社長・蓮見清一

出版不況と言われるこの時代に、大手出版社を抜き去り、ダントツの販売部数を誇る女性誌がある。これを作っているのは社員わずか200人足らずの中堅出版社「宝島社」だ。その秘策は、毎号に付けるという徹底した“付録作戦”だけではない。「一番売れる雑誌を作れ!」をスローガンに 、次々と繰り出した新戦略。雑誌を「商品」と捉えた、業界の常識を覆すその大胆販売術とは――? 番組では社長の蓮見清一が、モノが売れない時代を闘い抜く「新発想」の原点を語る。

苦戦が続く出版業界にあって、快進撃を続けている出版社の「宝島社」。毎号にブランドものの付録がつく女性誌「sweet」の販売部数は、業界で断トツ。女性誌としては異例の100万部超えを達成した。だが、ここに至るまでの道のりは決して順調だったわけではない。 ヒッピー文化や電子音楽など、先鋭的な内容で日本のサブカルチャーをリードしてきた雑誌「宝島」を中心に歩み続けた出版社だが、出版不況の影響もあり、売り上げはピーク時に比べて約80億円も減少。一度は引退を決めた社長の蓮見だったが、再度“陣頭指揮”を執る決断をする。そして打ち出したのが、「一番誌戦略」だった。「ナンバーワン雑誌を創れ!」宝島社の挑戦が始まった…。そして今年、過去最高となる売り上げ327億円をたたき出した。何と前年比120億円増。人気の女性誌 は「sweet」だけではない。30歳代向けの「InRed」や「spring」なども脅威の部数伸び率で、他紙を圧倒する。今回番組では、“雑誌王”蓮見清一社長をゲストに迎える。売り上げを回復させた「マーケティング会議」とその独自戦略を紐解きながら、10月28日に発売される40代向け女性誌「GLOW」創刊の舞台裏に密着。女性たちを惹き付けてやまない、雑誌作りの秘密に迫るとともに出版業界の活性化に向けた新たな取り組みを紹介する!

≪ゲストプロフィール≫
1942年生まれ 67歳
1962年 早稲田大学政治経済学部入学
1971年 株式会社ジェー・アイ・シー・シーを設立
1974年 月刊誌『宝島』を復刊
1993年 株式会社宝島社 に社名を変更
2010年 『sweet』が発行部数100万部達成
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2010-10-28 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿
「これが世界で負ける、日本型の“男ビジネス”だ!世界で勝てる人材は、こう作れ!」 ベルリッツコーポレーションCEO・内永ゆか子

◎“世界”を駆ける人材!法人英会話大盛況の仕掛人・内永
ユニクロに楽天…英語の社内公用語化が始まった日本。実はそんなニーズを掘り起こしているのがベルリッツだ。08年に社長に就任した内永は、ノバの破たんなどもあり低迷する個人向け英会話に早々と見切りをつけ、世界に通用する人材を育てるための法人向け英会話に大きくシフト、急増する需要を掴んだ。今や、ベネッセからソニーまで世界で戦う企業に引っ張りだこの内永。自ら創業130年の世界企業ベルリッツコーポレーションを率い、世界を駆け回る彼女の、世界で勝てる人材作りとは?

◎東大初のミニスカがIBM初の女取締役に…男社会との戦い
東大で初めてミニスカを履いた女性といわれる内永。システムエンジニアとして日本IBMに入社して以降の歴史は、男社会の中での戦いの歴史だった。屈辱的なコンパニオンをさせられたり、夜8時までしか残業できない不利な労働規制を、トイレに隠れてまでかいくぐり仕事をした。そんな内永だからこそ分かる、日本企業の男社会の弊害が…「オールド・ボーイズ・ネットワーク」。多様性を認めない日本の“モノ”な企業文化が、かつては高度成長を実現したが、今では世界でいかにビジネスチャンスを逃しているのか…日本型“男ビジネス”の限界を見つめる。

◎グローバル時代は女性で勝つ!女性活用が企業を救う
管理職が活躍し、何人も女性役員がいる。これまでの男性ドメインの企業ではなく、“マイノリティー”(女性や有色人種)を活用しないと世界では生き残れないほど、競争が激化しているのが現状だ。日本企業が世界で生き残るため、女性の内永が立ち上げた女性リーダー育成NPO「J-win」などの活動を通し、日本の問題点と可能性を探る。

≪ゲストプロフィール≫
1946年 香川県生まれ。
1971年 東京大学理学部物理学科卒業後、日本IBM入社。
1995年、48才で日本IBM初の女性取締役に就任。常務、専務を歴任し、
2007年 日本IBMを定年とともに退職。女性のリーダー育成を目的とするNPO法人「J-win」を立ち上げ、初代理事長に就任。
2008年 ベネッセ副会長、べルリッツ社長就任。

≪企業プロフィール≫
1878年設立。アメリカ・ニュージャージー州プリンストンに本社を置く外国語学校。現在70カ国、500拠点で展開。
法人比率が高く、契約企業は世界1万2000社、国内3000社に上る。01年日本企業ベネッセの傘下に。
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2010-11-04 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●日経スペシャル カンブリア宮殿 「100年企業に今なお息づく開拓者精神!」 味の素社長・伊藤雅俊

「味の素」や「ほんだし」「クックドゥ」など数々の調味料を生み出し、日本の食卓の歴史を作って来たともいえる、味の素。今から100年前、昆布から出る「うま味」のグルタミン酸を、世界で初めて製品化したことが会社の始まりだ。以来、世界一のアミノ酸メーカーとして君臨し続け、今なおアミノ酸の可能性に挑み続けている。番組では、いち早く進出したベトナムでの地道な営業活動に密着。その一方で、食品だけでなく、化粧品や医療、最先端の電子関連部品などアミノ酸を軸とした研究開発事業の取り組みを追う。1兆円企業となった今なお息づく、味の素の開拓者精神。次の100年をどう歩むのか、伊藤雅俊社長に聞く。

◎101年目の舵取りを任された男・伊藤雅俊
「湯豆腐はなぜうまいのか?」−−今から100年ほど前、ある学者が抱いた疑問から「味の素」は誕生した。甘味、塩味、苦味、酸味…それまで味覚は4つと考えられていたが、第5の味覚、うま味を発見。それを商品化したのが味の素だった。うま味のもとは昆布に含まれるアミノ酸の一種、グルタミン酸。以来100年、味の素は世界一のアミノ酸メーカーとして日本の食卓をリードしてきた。今や味の素グループは従業員2万7000人、売り上げ1兆円を超える日本有数の食品メーカー。その101年目を任された伊藤が語る未来戦略とは?

◎ドブ板営業で売れ!今なお息づく開拓者スピリット
創業して間もなくニューヨークに事務所を開いたほど、味の素創業者・鈴木三郎助は開拓者精神に富んでいた。そのDNAが現在の味の素にもはっきりと受け継がれている。ベトナムの営業マネージャー、白濱は、赴任して1年ほどだがベトナム語を必死に覚え、現地スタッフとともに1袋60円の調味料「アジゴン」を売り歩く。路地裏の小さな売店では、商品についたホコリを拭きながら、店主に営業をして回る白濱の姿があった。伊藤は言う。「我々の商品は、お金持ちの人たちが買う物ではなく、庶民が毎日食べるもの。現地の人たちの中に入ってこそ売れるもの」。巨大企業・味の素の開拓者スピリットの原点とは。

◎化粧品から最先端部品まで…広がるアミノ酸の可能性
今なおアミノ酸の可能性を研究し続けている味の素。医薬品から最先端部品まで、その研究は実に多岐に渡る。今では理科系学生の就職人気ナンバー1企業だ。そんな味の素が目指す、食品メーカーのあるべき姿とは?


≪ゲストプロフィール≫
1947年 東京都生まれ
1971年 慶應大学経済学部卒、味の素入社
1999年 取締役食品事業本部食品部長
2003年 味の素冷凍食品 代表取締役社長
2005年 味の素 代表取締役専務執行役員
2006年 同 代表取締役専務執行役員 食品カンパニープレジデント
2009年 同 代表取締役社長最高経営責任者(CEO)

≪企業プロフィール≫
1909年創業。本社は東京都中央区。資本金798億円。
従業員3755人(連結 約2万7000人)
売上高1兆1709億円、経常利益676億円(2010年3月期、連結)
(original text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2010-11-11 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●ミクロワールド 「不思議な変身 クラゲの一生」

NHK教育 5min 2010-07-09 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo

> NBDR-0025にもあり



>ディスク設定: DRモード、本編区間のみ書き出し






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