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●経済ドキュメンタリードラマ ルビコンの決断 「日本の空を取り戻せ!」 〜全日空創業 「民」の力を信じた飛行機野郎たち〜

世界的な航空再編が起きている中、日本の航空業界も激動の時代を迎えている。長年、日本の航空業界を牽引してきた二大ライバル航空「日本航空」と「全日空」。経営破たんに陥り、存亡の危機に立たされている日本航空。一方、全日空も激烈な競争にさらされ生き残り戦略を模索している。日航と全日空はともに戦後まもなくの創業。誕生時期は同時期だが、まったく異なる歩みをしてきた両社。今回は「民」の力を掲げる全日空創業のドラマを紐解く。1945年。戦争に敗れた日本は航空に関する業務全てを禁止された。後に全日空をつくることになる朝日新聞の元幹部で、戦前、航空部で辣腕を振るった美土路昌一(寺田農)とその部下だった中野勝義(今井雅之)は、日本人の手で日本の空を取り戻そうと誓い合う。美土路らに大きな転機が訪れたのは1951年のサンフランシスコ講和条約締結。日本は翌年4月に独立国家となることが決まったのだ。独立すれば、日本資本の航空会社が認められることが予想され、ようやく自分たちの出番だとはりきる。さっそく会社の免許を取るための計画書づくりに取り掛かる。しかし空への熱い思いはあるものの、飛行機を買える金もパイロットもいない。そこで中野は、飛行機よりも安く購入可能なヘリコプターに目をつけた。日本人がほとんど目にしたことのない未知の乗り物を当面の商売道具にして、航空事業に乗り出そうと考えた。この奇抜なアイデアは果たして実を結ぶのか?
(text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 54min 2010-08-19 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●経済ドキュメンタリードラマ ルビコンの決断 「“シャープ大逆転劇”の真実」 〜「液晶テレビ」に賭けた男たち〜

現在、シャープは国内でのテレビ販売台数トップ。「液晶」と言えば、シャープというイメージが定着しているが、実は、30年ほど前は、松下電器や東芝、ソニーなどに比べると、世間では格下の電機メーカーという評価だった。それは、テレビの基幹部品である「ブラウン管」を自社で生産していなかったのが理由の一つだ。その屈辱をばねに、どうやって今までにない薄型テレビ、「液晶テレビ」を生み出したのか? そこにはシャープ創業者・早川徳次の「他社にまねされる商品を作れ」という精神が息づいていた…。

◎早川徳次は発明家だった− 徳尾錠・シャープペンシルを発明
シャープの創業者・早川徳次はアイデアあふれる発明家だった。19歳の時に、穴をあけないベルトのバックル「徳尾錠」を発明。その後、シャープペンシルも考案するなどして、早川金属工業を設立。その後も世界初・国内初の商品を次々に打ち出した。彼の口癖は「他社にまねされる商品を作れ」、「世の中にない商品を作れ」ということだった。

◎ブラウン管は他社製・・・
早川の「世の中にない商品を作れ」という精神から、シャープは国産で第一号のテレビを発売。しかし、ブラウン管はアメリカ製だった。その時、ブラウン管を自社で開発するほど十分な資金力がなかったのだ。その後、松下電器や東芝、ソニーなどが自社でブラウン管を開発し、テレビを販売し始めると、シャープはたちまちシェアを追い抜かれてしまった。

◎次なる夢のテレビを作りたい・・・それが早川の悲願だった
早川徳次は自社でブラウン管を開発できなかったことを悔やんだ。 早川は全社員集会などで社員たちに繰り返しこう言っていたという。 「他社がまねをするような商品を作って欲しい!新しいテレビを作って欲しい!」それを聞いていた、当時20代の若手社員だった町田勝彦(後に4代目社長)はその言葉を胸に刻んだ。

◎液晶に出会う・・・しかしテレビ化にはまだまだ壁が・・・
昭和44年、技術の責任者がある物質を早川のところに持ってくる。それが「液体ながら結晶の性質を持つ」、液晶というものだった。実用化されれば軽くて、薄くて、省電力の全く新しいディズプレイになる可能性があった。早川は早速液晶の開発を指示する。しかし、動画を映し出すのは困難を極めた。一方、テレビの営業マンだった町田は悔しい思いを度々味わう。 家電量販店からシャープのテレビは格下という扱いを受けていたのだ。

◎早川の死・・・
そして昭和55年(1980年)、早川徳次は夢のテレビを見ることなく、他界する。

◎家電不況…液晶事業も赤字、新社長・町田の決断は?
1997年、山一證券やたくぎんが破綻するなど、金融危機が起こり、家電メーカーもほとんど赤字となっていた。シャープも当時、液晶事業は赤字だった。そんなときに町田は4代目社長に抜擢される。果たして町田が下した驚きの決断とは? そして、かつての屈辱からどうやって国内トップのテレビメーカーとなりえたのか?
(text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 60min(直前の番宣付) 2010-09-02 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●経済ドキュメンタリードラマ ルビコンの決断 「ニッポン式コンビニ誕生物語」 〜セブンイレブン36年目の真実〜

昭和40年代後半、日本は高度成長期を過ぎ、大量生産、大量消費の時代を迎えていた。ダイエー・西友など安さと大量供給を売りにしたスーパーマーケットが急成長するなか、イトーヨーカ堂は業界8位。当時新規事業の開発を担当していた鈴木敏文(現セブン-イレブン・ジャパン会長=榎木孝明)は、アメリカ全土でチェーン展開していたコンビニエンスストア、セブンイレブンのビジネスモデルに目を付けた。しかし、イトーヨーカ堂社内では「日本とアメリカは違う。日本では商店街が充実している。そんな小さな店が成功するわけがない」と反対の声が多数だった。しかし、鈴木は、「アメリカで4000店舗も展開しているには、素晴らしいノウハウがあるはずだ」と考え、セブンイレブンを日本で展開することを了承させる。アメリカのセブンイレブン本社と提携を合意し、さっそく部下の岩国(神保悟志)、鎌田(湯江健幸)たちとアメリカで研修を受けることになるが…なんとそこで受けた研修はアルバイトが受けるようなものばかりだった。さらに「秘伝の書」と思われたマニュアルもまったくの期待はずれ・・・。ショックを受けた鈴木は、アメリカとは全く異なる日本ならではのコンビニを作ることを決断する。日本へ戻った鈴木たちは、さっそく1号店開店の準備を始めた。どこにオープンするのか? 直営にするのか、フランチャイズにするのか? 鈴木が迷っている矢先、ある酒店の店主・山本憲司(河相我聞)、その妻(安倍麻美)から「コンビニエンスストアを開店したい」という1通の手紙が届いたのだ。山本が営む酒店は決してコンビニに適しているとは言い難い場所。だが鈴木は・・・。
(text from TV-Tokyo site)

テレビ大阪 60min(直前の番宣付) 2010-09-09 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo





●日経スペシャル ガイアの夜明け 「電気自動車 元年」 〜“ガソリン不要”…期待と実力〜

近い将来のエコカーの主役として注目を集めはじめた電気自動車。三菱「アイミーブ」は今年4月から個人ユーザーへの販売を開始。さらに12月には、カルロス・コーンCEO肝いりの日産「リーフ」が発売になる。すでに初年度分の国内販売台数6000台は予約で埋まっているという人気ぶりだ。まさに、今年は電気自動車の本格的な普及元年とも言われている。その登場は、我々の生活を変える可能性を秘め、自動車業界の存在、そして日本のモノづくりそのものにも変革をもたらし始めている。番組では、日産の内部を独占取材した。量産型電気自動車の発売に向けて、壁となったものとは?

◎燃料費1キロ1円!電気自動車のある生活
神奈川県に住む20代の主婦は今年、三菱の電気自動車「アイミーブ」をリースで購入した。子供の送り迎えや買い物、ちょっとした遠出などにも利用している。家にはハイブリッドカーもあるが、ほとんど乗っていないという。「日常の生活をする分には電気自動車で十分」と話す主婦。そしてもう一つのメリットが、電気代の安さだ。深夜料金を使えば、1キロ1円も可能。「ガソリンの価格が高くなる一方だし、家計も助かっています。」電気自動車のある生活は徐々に広がりを見せている。

◎日産、そして日本メーカーの行く末を占う電気自動車 開発現場密着365日…
ガイアのカメラは去年11月、日産の電気自動車「リーフ」の開発現場に足を踏み入れた。そこで開発陣が取り組んでいたのは、電費のさらなる向上。電費とは、電気を効率的に使い、走行距離を延ばすこと。発売まで1年となった段階でさらに「電費10%改善」を出来ないか。開発陣の奮闘が続いていた。現場リーダー吉田正樹さん(41歳)に密着。これまで主にアメリカ向けのガソリン車を担当してきたが、3年前、電気自動車プロジェクトに抜擢された。「これまでのガソリン車の常識は全く通じない。しかしこの車は世の中を変える可能性のある車。エンジニアとしては本望」しかし、今までのガソリン車では考えられなかった壁が次々と立ちはだかる。新しい電気自動車をどう作り上げていくか、さらに、年間数万台という世界初の規模となる量産態勢をどう作り上げるか、乗り越えなければならない壁はたくさんある。そんな中、日産は7月に小型車「マーチ」の生産を国内から完全に海外に切り替えた。世界で勝てる付加価値のある商品を優先して国内で作る…。正に電気自動車「リーフ」は明日の日本のものづくりを占う車でもあるのだ。「日本の技術者の意地を見せる」と意気込む吉田さんの奮闘を描く。

◎あなたのガソリン車、100万円で電気自動車にします!地方発改造EVビジネス勃興】
電気自動車のネックのひとつは価格。これでは普及は望めないと、数十万円から100万円強の改造費で既存のガソリン車を電気自動車へ改造する事業が勃興している。その改造ビジネスを全国に根付かそうとしているのが東大・総長アドバイザーの村沢義久さん。「スモールハンドレッド」という言葉(自動車業界が大企業中心から、中小企業中心の産業構造になるとの意味)の生みの親でもある。基本的なビジネスモデルは、国内外の様々なメーカーの部品を集めてセットを販売し、組み立てまで請け負うというもの。正に“プラモデル感覚”だ。これなら地方の小さな企業でも参入できる。「地球温暖化防止の面から見ても、電気自動車の加速度的な普及が必要。そのためには改造ビジネスしかない」。そんな中、県を挙げて改造EVビジネスに取り組み始めたのが愛媛県。県の産業は農業が中心で自動車関連企業はほとんどないが、改造EVを県の新しい産業として根付かせたいと意気込む。村沢さんもアドバイザーとしてバックアップ。9月には試験車両が完成した。何とその実力は最高時速190キロ!その実力を示すべく11月に電気自動車レースに出場。地方発の電気自動車は新しい産業の可能性を拓けるのか…。また、大手メーカーの一方で、古い車を電気自動車に手軽に改造するという中小企業のビジネスも広がり始めた。果たして、電気自動車の実力と可能性は、どれほどのものなのか…。
(original text from TV-tokyo Site and Mail Magazine)

テレビ大阪 53min 2010-11-30 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo

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●NHK映像ファイル あの人に会いたい 「作家・尾崎一雄」

「結局は 本来無一物」: 身近な出来事を題材にした「暢気眼鏡」や「芳兵衛物語」で知られる私小説の第一人者・尾崎一雄。志賀直哉の小説に感動、作家になることを決意した尾崎は、長い停滞期を経て昭和12年「暢気眼鏡」で芥川賞を受賞。その後大病を患い、故郷で療養生活をしながら作家活動をする。身近に迫る死を見つめることで、自然や生き物への観察眼を深め「虫のいろいろ」や「美しい墓地からの眺め」などの心境小説の名作を生みだし、昭和53年文化勲章を受章した。病気で行動を制限され、深められた心境。そしてたどり着いた独自の文学世界が語られる。
(text from NHK site)

NHK総合 10min 2010-09-19 Air check by Sony Giga Pocket Digital 2.0 Stereo



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