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●100分de名著 「旧約聖書」 講師: 加藤隆(千葉大学文学部教授)

かつて、日本人は万物に神が宿っていると考え、八百万の神を信じていました。これと対極にあるのが一神教の思想です。一神教は古代、ユダヤ教で生じました。そしてユダヤ教を母胎にキリスト教が生まれ、その両方の影響を受けてイスラム教が成立します。つまり一神教について学ぶことは、世界の多くの人々の文化の根源を知ることにつながるのです。そこで5月の「100分de名著」では、「旧約聖書」を読み解くことで、一神教とは何かを考えます。そもそも聖書とは何でしょうか。聖書には「旧約聖書」と「新約聖書」があります。「旧約」とは神との古い契約という意味で、「新約」とは、神との新しい契約という意味です。「旧約聖書」は、紀元前4~5世紀に成立しました。ユダヤ教にとってはこれだけが「聖書」です。一方「新約聖書」は、ユダヤ教を母胎に生まれたキリスト教が生み出した書物で、「旧約聖書」は「新約聖書」の前提という位置付けとなっています。番組では、「旧約聖書」から、古代の中東における人々の営みや歴史を探ります。グローバル化が進み、異文化の理解が必要となっている今、西洋における「神」の概念の原型が、どのようにして形作られていったかを分析していきます。

第1回 「こうして“神”が誕生した」
旧約聖書ではまず、世界の創世について語られているが、そこから何が読み取れるのかをまず探る。さらに時代が下ると、ユダヤ人の祖先はエジプトで奴隷として暮らしていたとされている。彼らはヤーヴェという神を信じるモーセに率いられ、エジプトからの脱出を企てる。追っ手のエジプト軍が迫るが、海の水がひいて無事に渡ることが出来たという。この有名な物語が意味するものとは何なのだろうか。第1回では、戦乱が続く古代の中東で、当時の信仰とはどんなものだったのかを考える。

第2回 「人間は罪の状態にある」
国家を樹立したユダヤ人たちは、ソロモン王のもとで発展するが、国の安定と共に変化が起きた。人々はさらなる生活の向上を神に求めるようになり、ヤーヴェ以外の神も信じるようになった。ところがソロモンの死後、内紛により国が南北に分裂、さらには戦争に負けた北王国が滅びてしまう。こうした中、民族を守るはずのヤーヴェが、なぜ自分たちを守らなかったのか、という疑問が生じた。その時、人間は罪の状態にあるという新たな概念が芽生える。第2回では、罪の概念について考える。

第3回 「聖書の成立」
戦乱が続く中、残っていた南王国も戦いに敗れて消滅。ユダヤ人たちは敵国の首都バビロンへ連行され捕囚となってしまった。しかし人々の多くは、出エジプトのよう出来事を神に期待し、信仰を守り続けた。こうした中、聖書の成立にあたり、ある重要な出来事があったと加藤隆教授は考えている。第3回では、旧約聖書が生まれた背景を学ぶと共に、そこに記された掟がどのような影響を与えたかを考える。

第4回 「沈黙は破られるのか」
バビロン捕囚が終わり、故郷に帰ることが出来たユダヤ人だが、かつてのように国家を樹立することはできなかった。しかしバビロンという大都会で暮らしたユダヤの人々は、かつてよりも知見を広め、知恵を深めることが出来た。こうした背景の中で生まれた物語のひとつが、有名な「ヨブ記」だ。そしてその後、キリスト教が誕生することになる。第4回では、ユダヤ人を襲った様々な苦難と、なかなか民を救おうとしない神について、当時の人々がどのように考えていたのかを探る。
(text from NHK site)

NHK教育 25min×4 2014-05-07・14・21・28 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo





●100分de名著 「ファーブル昆虫記」 講師: 奥本大三郎(フランス文学者・作家)

今月からプロデューサーNの後任で「100分de名著」を担当するプロデューサーAです。今後もたくさんの名著を取り上げていきたいと思います。よろしくお願いします。さて、7月にとりあげるのは、粘り強い地道な観察によって昆虫の驚くべき生態を明らかにした「ファーブル昆虫記」。著者は19世紀に南フランスで物理や数学の教師をしていたジャン・アンリ・ファーブルです。皆さんも一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。子どものころから昆虫が大好きだったファーブルは、55歳の時に昆虫観察に専念することを決意、その後30年の歳月をかけて昆虫記を書き上げました。学校で様々な事情を抱える生徒たちと接してきたファーブルは、昆虫記を難解な論文調にしませんでした。謎に迫る過程を生き生きと記すことで、学ぶ楽しさが読者に伝わるようにしました。それが昆虫記の大きな魅力となっています。この昆虫記には意外な側面も。原題は「昆虫学的回想録」。昆虫学の本であると同時に、ファーブルの自叙伝にもなっています。ここに書かれたファーブルの人生と照らし合わせながら、昆虫の観察記録を読むと、彼がどんな思いを抱いて研究をしたのか、またどんなメッセージを人々に伝えたかったのかを、はっきりと知ることができます。もうすぐ夏休み。この番組を通して、もう一度「ファーブル昆虫記」の世界に触れてみませんか? 親子で生命のすばらしさをわかりやすく学べるのはもちろん、大人の読み物としても読み応えがあり、知的好奇心をかきたてられます。ぜひご覧ください。

第1回 「命には必ず役割がある」
第1巻では、30代のファーブルが生徒とスカラベ(牛糞を食べる甲虫。大きな糞球を転がして運ぶ)を観察した思い出が語られる。しかしなぜファーブルは、糞を食べるような昆虫に愛情を注いだのだろうか。ファーブルは山奥にある貧しい村で育った。祖父母の家の周りは家畜の糞だらけだったが、それを汚いという人はいなかった。家畜の乳を絞り、その肉を食べ、羊毛を着ていた村の人々は、家畜によって人間が生かされていることをよく知っていたからだ。全ての生き物は平等であり、それぞれの役割がある。それがファーブルの信念だった。第1回では、ファーブルの昆虫へのまなざしから、その生命観を描く。

第2回 「昆虫観察を天職と知る」
両親が都会でカフェを開くことになり、ファーブルは9歳で故郷を離れた。しかしカフェはつぶれ、一家は離散。ファーブルは働きながら学び、師範学校を出て教師となる。しかし若い頃のファーブルは物理や数学が専門で、昆虫は趣味に過ぎなかった。人生が変わったのは31歳の時。虫を食料とする狩り蜂の論文を読んだのがきっかけだった。そこには狩り蜂が捉えた虫はいつまでも腐らないと書かれていた。驚いたファーブルは、自分でも観察を行う。そして、それまで知られていなかった驚愕の事実をつきとめた。第2回では、ファーブルが昆虫学者となるまでを見つめる。

第3回 「本能の謎を解き明かす」
ファーブルは昆虫の卓越した本能について発見を重ねた。狩り蜂の幼虫は親が捕った虫を食べるが、心臓など致命傷になる場所を巧妙に避け、獲物を生かしたまま食べていた。一方で本能の限界も明らかにする。狩り蜂の幼虫は、生みつけられたのとは違う場所に移されると獲物を食べることができなくなる。本能には全く柔軟性がないのだ。こうした観察は注目され、ダーウインなどから高い評価を得た。しかし女性が同席している講演会でおしべとめしべの解説をしたことが問題視され、ファーブルは職を失う不運にみまわれる。そこで筆一本で生きる決意を固め、書き始めたのが昆虫記だった。第3回では、昆虫の本能と昆虫記誕生のきっかけを語る。

第4回 「昆虫から学んだ生と死」
55歳になったファーブルは、荒れ地を買い、植物を植えて昆虫の楽園を作った。そこで観察をしながら昆虫記を書き続けた。当時は帝国主義の時代で、戦争が絶えなかった。こうした中、ファーブルはサソリを使った実験を行う。サソリが攻撃するのは餌となる生き物だけで、他の生き物とは決して戦おうとしなかった。不必要な殺戮を行うのは人間だけであり、死について知っているのも人間だけだとファーブルは考える。そして人間は命の意味を考え直さねばならず、また死を知る唯一の生き物として一生懸命生きなくてはならないと結論づけた。第4回では、ファーブルが晩年に到達した死生観に迫る。
(text from NHK site)

NHK教育 25min×4 2014-07-02・09・16・23 Air check by Sony Giga Pocket Digital 3.5 Stereo



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