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●新日曜美術館 「エミール・ガレ」 〜知られざる美の世界〜

アール・ヌーヴォーを代表する工芸家エミール・ガレ(1846〜1904)。フランスの小都市ナンシーをパリに並ぶ芸術都市に作り上げた“ナンシー派”のリーダーである。ガラスのみならず、陶器・家具の分野でも活躍、特に日本での人気は根強く、今年(2004年)はその没後100年にあたり、各地で展覧会が予定されている。
エミール・ガレには芸術家のほかに、いくつかの顔があることも知られている。
まず第一は、植物学者。ロレーヌ地方の自然をこよなく愛した彼は、植物学の権威として園芸協会の要職にも就いていた。第二は、企業家。自らの名前をブランドとして確立し、芸術を産業に押し上げた。以上ふたつの顔は、これまで数多く語り継がれてきた。ところが彼にはもうひとつの顔があった。それは社会運動家としての顔である。
ガレの故郷であるロレーヌ地方は、ドイツとの国境問題をはらんでいた。普仏戦争(1871)によって、この地への愛国心を燃え上がらせたガレは、ロレーヌのアイデンティティーを守るために工芸からひとつの運動を作り出そうとした。作品のモチーフとして、ロレーヌを象徴する“あざみ”や“バラ”(寄れば刺すの意味がある)を多く用い、サインには“ロレーヌ十字”を引用するなど、芸術を通して思想を表現していたのである。
また、フランスの国論を2分したドレフュス事件(陸軍の機密書類をドイツへ売却した嫌疑でドレフュス大尉が終身刑に処された事件)では、ユダヤ人ドレフュスの人権擁護運動の中心になって活動。小さいが力強い生命の象徴である「たつのおとしご」をモチーフにした作品を弁護士のもとに送り、励ましたという。これらの観点から、代表作を見ていくと、植物や昆虫のモチーフの真の意味と、ガレの新しい顔が見えてくる。
長野県諏訪市にある北澤美術館で開催される展覧会の模様とフランス取材からガレの知られざる素顔を探る。
(text from NHK site)

NHK教育 45min 2004-06-27 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)






●新日曜美術館 「流転の名画・海山十題」 〜横山大観が遺した海と山〜

近代日本画家の巨匠・横山大観(1868〜1958)は、昭和15年(1940)に、自らの画業50年と紀元2600年を記念して、「海に因む十題」「山に因む十題」を画題とする二十幅の連作を描いた。この連作は、朦朧体など近代日本画に新しい創造を生み出し、数多くの名作を遺した大観の画業の中でも、傑出したもののひとつといわれている。
また、名作「海山十題」が、当時大きな社会的話題になったのは、二十幅の絵画の全売却金で陸海軍に戦闘機、爆撃機4機を献納したことであった。軍国主義一色の時代背景の中で、大観は愛国心を絵画を通して示そうとしたのである。戦後、その行動は一部批判もあったが「海山十題」の作品的価値はいささかも変わるものではなかった。
二十幅の作品には、発表と同時に多くの買い手が殺到し、戦後は様々な流転を経ることになるが、所在不明となったものもあった。ところが、幻といわれていた、海に因んだ「海潮四題・秋」と山に因んだ「龍踊る」が昨年発見され、「海山十題」の二十幅全てが現存することが判明した。この発見を機に、昭和15年以来、初めて「海山十題」が一堂に会する歴史的展覧会が開かれることになった。番組では、この展覧会を機に大観の画業の頂点にある「海山十題」を通して大観90年の芸術的精神をみつめる。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に軽いノイズあり>
NHK教育 45min 2004-08-01 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->G 0709





●新日曜美術館 「紀伊巡礼・祈りとそのかたち」

豊かな自然に包まれ、日本固有の精神文化を育んできた「紀伊山地の霊場と参詣道」が、今年7月に日本で12番目の世界遺産に登録された。このエリアは奈良県、和歌山県、三重県にある3つの霊場が中核をなす。神仏習合の多様な信仰の歴史と伝説がある「吉野・大峰」、熊野信仰で多くの参詣者を集めた「熊野三山」、そして弘法大師空海が開いた真言密教の聖地「高野山」、そして山々や海沿いに延びる参詣道からなる。いずれも、都から遠く離れ、権力闘争に敗れた貴人の隠れ場になったり、現世とは異なる世界の入り口とみなされたり、中央政治から距離を置いた信仰の場とされてきた。この地域を巡ると、天皇家から庶民にいたるまで、多くの人々が長年にわたって奉納してきた名宝の数々に出会うことができる。番組では、霊場と参詣道の寺社に所蔵される名宝を紹介するとともに、「祈りの道」に込めた人々の思いを通して日本人の精神文化を考える。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に、ごく軽いノイズあり>
NHK教育 45min 2004-08-08 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->G 0762

> DR-437にMPEG2版あり





●新日曜美術館 「河童になりたかった男」 〜日本画家・小川芋銭〜

生涯、河童にこだわり、数千点という数の河童を描いた日本画家、小川芋銭(1868〜1938)。
昭和初期の日本家屋そのままの面影を残す芋銭のアトリエは、今も生まれ故郷の茨城県牛久市の牛久沼畔に残っている。その牛久沼では、江戸時代から河童にまつわる伝承が多く、そこに登場する河童は、周囲の田畑の草を刈り農民の手助けをするものとして感謝されていた。戦前まで、毎年年末には沼に餅を供えていたという。こうした河童伝説は現在も脈々と語り継がれている。幼少期からそうした風土に育った芋銭に、やがて河童を登場させる気質をつくった。
独学で絵を学んだ芋銭は、はじめ、新聞や雑誌に風刺画を送り続けた。生涯画壇に属することなく、徹底して庶民の視点から近代化の時代を見つめ続け、自然とともに生きる人間の有り様を追求した。芋銭の絵に河童が登場するのは、明治時代の新聞の風刺画、農民解放を唱える立場から、農民を支援する河童であった。芋銭の河童は、妖怪としての奇怪なイメージとはかけ離れ、滑稽で、喜怒哀楽をあからさまに表す、愛すべき生物であった。素朴で自由、そして快活なイメージは見るものを実に心和ませる。時代に翻弄されながらも、おおらかに自由に生きる「個」としての庶民の姿を自らの河童画に込めたのである。芋銭は、晩年「河童の芋銭」と画壇から揶揄されながらも弁明することなく、71年の生涯を牛久で送った。
番組では、明治から昭和初期にかけて、近代化の波が大きくうねる時代の中で、芋銭が生み出した河童とは何だったのか、芋銭が河童に込めた人間への深い想いとは何だったのか、今我々にどんなメッセージを発しているのか、芋銭の作品とその足跡から読み解く。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に軽いノイズあり>??
NHK教育 45min 2004-10-03 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)





●新日曜美術館 「変貌するピカソ」 〜エロスと超現実の世界〜

第一次大戦後、ピカソは結婚や長男の誕生を経て<古典主義的作風>と呼ばれる明るく人間的な画面を生み出した。ところが1925年頃を境に、そうした落ち着いた雰囲気は全く姿を消す。強烈な色彩、幻想的で、ときには悪夢を思わせるグロテスクな形。その後10年あまり、画家をとりまく状況は「生涯最悪の時」という局面を迎えていた。破綻する女性関係、祖国そしてヨーロッパ全体に忍び寄るファシズムと戦争の影。
 この時期、ピカソの作品はシュールレアリスムに大きく接近している。「美は痙攣(けいれん)である」と言い、個人の無意識や幻想をさらけ出すことで「人間のトータルな解放」を目指すシュールレアリスムの方法によって、ピカソは女性や性愛、さらにはこの世界の真の姿をとらえようとした。そしてその到達点にある作品こそ、1937年の大作「ゲルニカ」に他ならない。
 番組では、従来あまり紹介されることのなかった<シュールレアリストとしてのピカソ>に焦点をあてる。ピカソは20世紀最大の芸術運動・シュールレアリスムにどのような影響を与え、また逆に、この運動からどのような刺激と発想を得たのか。そして「ゲルニカ」へと至るこの時代は、ピカソにとってどのような日々だったのか。「ピカソ 躰とエロス」展から、ピカソの代表的な「シュールレアリスム作品」を取り上げ、シュールレアリスムが頂点に達した30年代パリの空気や、芸術家たちとピカソの関わりを、資料や証言によって再現する。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に軽いノイズあり>??
NHK教育 45min 2004-10-10 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)






●新日曜美術館 「ヨルダン美の遺産」 〜悠久の古代への旅〜

イラクとイスラエルに挟まれたアラブの小国ヨルダン。50万年以上前から人類が住み、旧約聖書の舞台となり、モーゼ終焉の地でもある。旧石器時代からメソポタミアやエジプト文明を経て、ビザンチンさらにはオスマン帝国まで、多様な文明の波にあらわれ、その中で独自の文化をはぐくんできた。国全体が、まさに一個の「歴史博物館」ともいえる。日本ではなじみが薄いが、この知られざる「歴史博物館」の各所を訪ねて、人類50万年の旅を振り返る。首都アンマン周辺には、旧石器時代の遺跡やローマ時代の遺跡が数多く残されている。
そこからは、数千年前の数々の道具や生活雑器、人や動物を象った人形などが出土した。
モーゼの終焉の地として有名なマダバ、そこにある教会には、ビザンチン時代、ウマイヤ朝時代の美しいモザイクが残されている。
ヨルダン川に沿って、雄大な峡谷や死海を越えていくと、丘の上に出現したのはカラク城。この遺跡は12世紀、聖地奪回に遠征してきた十字軍の砦であった。そして西部の砂漠の中に忽然と現れるアムラ城(世界遺産)。遺跡めぐりの旅の他、日本、ヨルダン国交樹立50周年を記念して、世田谷美術館で開かれている「ヨルダン展」に展示されている美術品も紹介する。
(text from NHK site)

<受信障害により映像全体に軽いノイズあり>
NHK教育 45min 2004-10-17 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1)








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