玄関 / ライブラリ / 未整理映像ファイルメニュー / NHK教育: 「知るを楽しむ」-2008前半 /

 

 

●知るを楽しむ 歴史に好奇心 「古今東西カレンダー物語」 案内人: 柳家花緑、林家きく姫

新しいカレンダーが目にとまる年末年始。実は、暦の成り立ちには宗教や国家の歴史が深く関わっている。
知っているようで知らない多様な暦の物語を4回シリーズで探究する。
−−−−−−−−
◎岡田芳朗
1930年、東京生まれ。女子美術大学名誉教授。日本古代史専攻。暦の会会長。53年早稲田大学教育学部卒業後、同大学院修了。主な著書に『日本の暦』(木耳社)、『暦ものがたり』(角川書店)、『明治改暦』『南部絵暦をよむ』『アジアの暦』『江戸の絵暦』(以上、大修館書店)、『現代 こよみ読み解き事典』(柏書房)、『暮らしの暦歳時記』(講談社)、『暦のからくり』(はまの出版)、『暦を知る辞典』(東京堂出版)、『旧暦読本―現代に生きる「こよみ」の知恵』(創元社)など多数ある。

◎池上俊一
1956年、愛知県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科教授。専攻は西洋中世史。79年東京大学文学部卒業、83年同大学院人文科学研究科博士課程中退。86〜88年フランス国立社会科学高等研究院に留学、研究に従事する。主な著書に『動物裁判』(講談社現代新書)、『歴史としての身体』(柏書房)、『シエナ―夢見るゴシック都市』(中公新書)、『ヨーロッパ中世の宗教運動』(名古屋大学出版会)など、監修に『笑いの中世史』(原書房)、『暦の歴史』(創元社)など多数ある。

◎中牧弘允
1947年、長野県生まれ。国立民族学博物館教授・総合研究大学院大学教授。専攻は宗教人類学。70年埼玉大学教養学部卒業、76年東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了、文学博士。主な著書に『日本宗教と日系宗教の研究―日本・アメリカ・ブラジル』(刀水書房)、『会社じんるい学』(共著、東方出版)、『会社のカミ・ホトケ―経営と宗教の人類学』(講談社)など、編著書に『現代世界と宗教』(共編、国際書院)、『都市空間を創造する―越境時代の文化都市論』(共編、日本経済評論社)など多数ある。


第1回 「日本の暦はこうしてできた」■OK --->B 0917
いにしえより人々が季節や日にちのしるべとしてきた暦。日本では長く中国の暦に頼ってきた。しかし、大陸の暦は遠く離れた日本には合わない部分があり、月食や日食の日も当たらないなど、その不正確さが問題となってくる。日本独自の暦ができるのは、江戸時代のこと。それは、ある男の執念によってもたらされた。日本の暦はいかにして誕生したのか。その舞台裏に迫る。 【ゲスト】女子美術大学名誉教授・岡田芳朗

第2回 「明治改暦大事件」■OK --->B 0242
明治5年11月、政府は突然、12月を2日で終えると発表した。それまでの日本の暦が西洋の太陽暦に改められ、正月がいきなり1か月繰り上がることになった。人々は寝耳に水で大混乱。改暦の影響は生活のさまざまな局面に生じた。太陽暦への人々の反発は強く、各地で暴動が起こるまでになった。政府が改暦を断行した背景には何があったのか。改暦は何をもたらしたのか。維新間もない明治日本を揺るがした、事件の真相に迫る。 【ゲスト】女子美術大学名誉教授・岡田芳朗

第3回 「世界標準=E西暦がたどった道」■OK --->B 0140
西暦元年の12月25日はキリストの誕生日とされている。しかし、当初はキリストの誕生日は西暦元年とされていたわけではなく、12月25日と決まっていたわけでもなかった。それでは一体いつから、なぜそういうことになったのか? また、なぜ4年に1度うるう年があるのか? なぜ2月は特別短いのか? そうした疑問の答えを探りながら、西暦はいかにして世界標準になったのかを解き明かしていく。 【ゲスト】東京大学大学院総合文化研究科教授・池上俊一

第4回 「世界の暦 大集合!」■OK --->B 0153
西暦以外にも世の中にはさまざまな種類の暦があり、今なお使われ続けている。中国、インド、サウジアラビア、エチオピア…。アジアやアフリカ各国の暦を見ていくと、新年の始まりすらバラバラだ。その成り立ちにはさまざまな宗教の影響や権力者・為政者の思惑が色濃く反映している。世界の個性的な暦を紹介しながら、暦はそれぞれの国や地域が育んだ文化・歴史の結晶であることを見ていく。 【ゲスト】国立民族学博物館教授・中牧弘允
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 25min 2008-01-10〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1) --->全B





●知るを楽しむ 私のこだわり人物伝 「久世光彦 昭和を愛した不良」

「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」など斬新なホームドラマでお茶の間の人気をさらった久世光彦。
テレビ・文学・歌謡曲で才能を発揮し、昭和を駆け抜けた不良の素顔に迫る。
−−−−−−−−−−−−−
◎樹木希林
1943年、東京生まれ。女優。文学座演劇研究所第一期生となり、悠木千帆の名で女優デビュー。64年テレビドラマ『七人の孫』で注目され、70年『時間ですよ』で人気を不動のものとする。個性派女優として、映画、テレビ、CMで独特の存在感を放っている。主な出演映画作品に『湖の琴』『つる―鶴―』『夢の女』『命』『半落ち』『下妻物語』『東京タワー―オカンとボクと、時々、オトン』などがある。

◎大石静
1951年、東京生まれ。脚本家・作家。日本女子大学文学部国文学科卒。86年「水曜日の恋人たち」(TBS)で脚本家としてデビュー。NHK連続テレビ小説「ふたりっ子」で第15回向田邦子賞と第5回橋田賞受賞。2006年にはNHK大河ドラマ「功名が辻」の脚本を手がける。ほかの代表作に「オードリー」(NHK)、「ハンドク!!!」(TBS)、「アフリカの夜」(CX)など。エッセイ『わたしってブスだったの?』(文春文庫)、小説『四つの嘘』(幻冬舎)ほか著書多数。

◎伊集院静
1950年、山口県生まれ。作家。立教大学文学部卒。1981年「小説現代」に『皐月』を発表し、文壇にデビューする。1992年『受け月』で直木賞、1994年『機関車先生』で柴田錬三郎賞、2002年には『ごろごろ』で吉川英治文学賞を受賞。伊達歩のネームで作詞も行い、近藤真彦の「ギンギラギンにさりげなく」や「愚か者」などを手がける。ほかの代表作に『乳房』『海峡』『ぼくのボールが君に届けば』『美の旅人』などがある。

◎小林亜星
1932年、東京生まれ。作曲家。慶応義塾大学経済学部卒。作曲を服部正に師事。72年「ピンポンパン体操」が200万枚を超える大ヒットとなり、日本レコード大賞童謡賞を受賞。76年「北の宿から」でレコード大賞受賞。CM、アニメ、歌謡曲、ポップスなどの幅広いジャンルで数多く作曲。74年に『寺内貫太郎一家』に出演。以来、作詞・作曲、タレントの両面で活躍している。


第1回 「不良になりそこねた男」--->C 0817 ノイズなし
大ヒットドラマ「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」の舞台裏を終生の友だった樹木希林が語る。台本にないコントやギャグをさしこむ奇抜な演出、ドラマと歌謡番組との合体、演技経験のないシロウト役者の起用など、ドラマの約束事を破ることで久世作品は圧倒的人気を博した。ドラマ作りを通して権威に反抗し、不良をめざした久世は、ヒットを連発するうち、自らが権威となり、行き場を失う。ヒットメーカーの栄光と孤独を描く。(語り手 女優・樹木希林)

第2回 「向田邦子からの宿題」--->C 0877 ノイズなし
「時間ですよ」「寺内貫太郎」で久世と名コンビを組んだ脚本家・向田邦子。ふたりは、核家族化する世相に抵抗するように、大家族を主人公とするホームドラマ作りに情熱を注いだ。しかし1980年代、向田の突然の飛行機事故死とトレンディドラマの台頭によって、久世は追いつめられていく。向田の残した宿題を引き継ぐとして、一人、時代の流れに逆らい、晩年までホームドラマにこだわった演出家の執念に、脚本家の大石静が迫る。(語り手 脚本家・大石静)

第3回 「遅れてきた文学青年」--->C 0508 軽いノイズ
50代になった久世は、テレビドラマを手がけるかたわら、精力的に筆をとり、向田邦子の素顔を描いたエッセイや江戸川乱歩の失踪事件をテーマとする小説を発表。遅咲きの作家として活躍する。久世がこだわったのは、昭和の記憶を、失われ行く美しい日本語とともにつづること。その退廃的でノスタルジーにあふれた独特の文学世界はファンが多い。不良のダンディズムが香る久世作品の魅力を、長く友人としてつきあった作家・伊集院静が語る。(語り手 作家・伊集院静)

第4回 「マイ・ラスト・ソング」--->C 0932 ノイズなし
もし人生の最後に一曲だけ聴けるとしたら、どんな歌を選ぶだろうか?久世はエッセイ「マイラストソング」で昔懐かしい昭和の名曲にまつわるエピソードを綿々とつづった。昭和が幕を閉じ、時代が移りゆく中で、久世は歌謡曲に何を求めたのか。「寺内貫太郎一家」で主役を務め、久世ドラマのテーマ曲を多く手がけた作曲家の小林亜星が思い出とともに語る。特別インタビューとして、久世作品を敬愛する歌手・一青窈が登場。(語り手 作曲家・小林亜星)
(text from NHK site)

<第3回=受信障害で映像全体に、ごく軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2008-01-08〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1) --->C
<第1・2・4回=ノイズなし>
NHK教育 25min 2008-03-17〜(2008-01-08〜の総合での再放送) --->C
Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1)





●知るを楽しむ 人生の歩き方 「宮本輝 流転の歳月」

「泥の河」「優駿」などで知られる作家 宮本輝。宮本さんの作品には、病や貧困、肉親の死に遭遇し苦しむ人々が数多く登場する。「なぜ人は生きるのか」そう問いかける作品の背景には、宮本さん自身の波乱に富んだ人生があった。
−−−−−−−−−−−−−
1947年、神戸市灘区生まれ。作家。追手門学院大学卒。デビュー作『泥の河』で77年、太宰治賞受賞。翌年、『螢川』で芥川賞受賞。『道頓堀川』『幻の光』『錦繍』『青が散る』『優駿』『ドナウの旅人』など、数々の話題作を発表。映画化された作品も多く、『泥の河』(小栗康平監督)や『幻の光』(是枝裕和監督)は、国内外で数々の賞を受賞した。近著に、自伝的大河小説『流転の海』シリーズ第5部『花の回廊』がある。


第1回 「押入れの中の青春」--->C 0887 ノイズなし
昭和22年、戦後の神戸。宮本さんは、子宝に恵まれない夫婦の待望の第一子として生を受けた。当時49歳だった父は、宮本さんを目の中に入れても痛くないほど可愛いがった。しかし、宮本さん7歳の時の台風が幸せな一家の運命を一変させる。極貧の生活、父の愛人問題、そして母の自殺未遂。闇の中で、宮本さんが出会ったものとは。

第2回 「俺は生きていられるのか」--->C 0031 ノイズなし
昭和41年、宮本さんは大阪の私立大学に入学。家の経済状態は悪く、宮本さんの在学中に、父が病死。宮本さんは生活費や学費を稼ぐためにありとあらゆるアルバイトをこなした。卒業後、広告会社に就職し、やっと生活が安定し始めた矢先に「パニック障害」を発症。死の恐怖に苦しむ。次から次へと降りかかる困難。しかし、ある日の夕立が宮本さんの運命を大きく変えた。

第3回 「父との約束」--->C 0106 ノイズなし
父のふるさと愛媛県愛南町で、宮本さんが父との思い出を語る。一粒種の宮本さんの将来に期待し、深い愛情を与えてくれた父。しかし、その後事業の失敗が重なり、次第に家に寄り付かなくなる。父が非業の死を遂げたのは宮本さんが22歳の時のこと。父と子の最後の会話は、宮本さんにとって忘れられない言葉となった。

第4回 「五十を過ぎた情熱」--->C 0142 ノイズなし
30代後半から「ドナウの旅人」「優駿」などの名作を次々と生み出し、作家として揺るぎない地位を築いた宮本さん。44歳で共に艱難辛苦をくぐり抜けてきた母を看取り、これからの人生を考え始めたとき、阪神淡路大震災に遭う。自宅が壊滅し、身近で大勢の死を経験した宮本さんは「生きるとはなにか」の問いを自分につきつける。その答えを求め、宮本さんはシルクロードに旅立った。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 25min 2008-04-04〜(2008-01-09〜の総合での再放送) --->C
Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1)





●知るを楽しむ 人生の歩き方 「野村克也 逆転の発想」

プロ野球球団「楽天イーグルス」監督の野村克也さんは、テスト生入団から一流選手、名監督となった。半世紀の野球人生は、逆境の連続だった。幼い頃の貧困、突然の解雇、王や長島への複雑な思い。しかし野村さんは、常に頭脳を駆使し、創意工夫を重ね、「逆転の発想」で乗り越えてきた。野村克也監督に半世紀以上の野球人生をじっくりと聞く。
−−−−−−−−−−−−−
1935年、京都府生まれ。楽天イーグルス監督。府立峰山高校卒。54年、南海ホークスにテスト入団し、56年にレギュラーに。60年代末まで、打点王と本塁打王をたびたび獲得。70年から選手兼監督になり、Aクラスを維持しつづけた。ロッテ、西武と球団を移り、80年に引退。野球解説者として活躍した後、ヤクルト監督となり「ID野球」を標榜して3度の日本一に貢献。阪神、実業団のシダックス監督を務めたのち、楽天監督に。著書に『無形の力』『野村ノート』『野村克也「頭の使い方」』などがある。


第1回 「極貧の暮らしが開いたプロへの扉」--->C 0350 ごく軽い
野村克也監督は少年時代、貧しかった。父は誕生前に戦病死。母は大病を患い、小学生の時から新聞配達、アイスキャンデー売り、子守り等のアルバイトで一家を支えた。中学2年で、野村少年は野球と出会い、プロ野球選手になる夢を描く。しかし家は貧しく、中学卒業後、進学が難しかった。そんな時、兄が自分の大学進学の夢を断ち、野村さんの進学を後押しする。高校卒業時には恩師が南海の監督に手紙を送ってくれてテスト入団を果たす。しかし1年後、突然の解雇通告。母親を悲しませたくないと説得、連日の遠投で肩を鍛え上げ、ようやく一軍に定着する。極貧からプロ野球選手になるまでの奮闘を語る。

第2回 「生涯一捕手」--->C 0419 ノイズなし
テスト生として異例の一軍入りを果たし、戦後初となる三冠王をはじめとする数々のタイトルを獲得した野村さんだが、その陰には人知れぬひたむきな努力があった。投手のフォームや癖から球種やコースを予測する独自のバッティング術、ささやきによるバッターへの心理作戦など、これまで誰もやってこなかった「考える野球」のスタイルを自ら生み出し、稲尾や王、長島といった名選手達との勝負につながっていく。45歳で引退するまで「生涯一捕手」にこだわり続けた野村さんの現役時代をじっくりとうかがう。

第3回 「野村再生工場」--->C 0598 ごく軽い
現役引退をした野村さんは1990年、ヤクルトの監督としてグラウンドに立つ。当時のヤクルトは万年Bクラスの弱小チームだった。弱者をいかにして強者に押し上げるか、野村さんの新たな挑戦が始まった。そして生み出したのが「ID野球」。データと頭脳を重視した新しいスタイルは野球界に旋風を巻き起こした。そして調子を落とした選手を復活させる「野村再生工場」。その後ヤクルトは快進撃を続け、三度の日本一に輝くことになる。野村さんはどのようにして、弱小チームを、自信を失っていた選手達を再生させるに至ったのか。

第4回 「最年長監督の心意気」--->C 0642 ごく軽い
野村さんはヤクルト退任後、阪神、実業団チームの監督を経て、2006年から東北楽天イーグルスの監督に就任する。72歳を迎えた最年長監督は、2年目で最下位だったチームを4位に躍進させた。田中投手や山崎選手など選手育成や起用が当たった事が大きかった。自らを「野球バカ」と称し、野球さえやっていれば幸せ、野球のことしか興味がない、と少年の様に微笑む野村さんが、去年のペナントレース、現在の暮らしぶり、今後の展望など、最年長監督の「心意気」について語る。
(text from NHK site)

NHK教育 25min 2008-02-06〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1) --->C





●知るを楽しむ 私のこだわり人物伝 「白川静 漢字に遊んだ巨人」 松岡正剛(編集者)

96年の生涯を漢字研究に捧げた白川静(1910〜2006)。2千年にわたる定説を覆し、独自の漢字解釈の体系を打ち立てた不世出の文字学者だ。 漢字が誕生した遥か3千年前の、呪術性に満ちた古代中国の世界観を解き明かした白川静の圧倒的な漢字ワールドに迫り、反骨孤高の人生を見つめる。
−−−−−−−−−−−−−
1944年、京都生まれ。編集工学研究所所長。早稲田大学中退。1971年、工作舎設立、総合雑誌「遊」創刊。1987年、編集工学研究所設立。以降、情報文化と情報技術をつなぐ研究開発、企画プロデュースに従事する一方、「日本という方法」をめぐる著作や私塾を精力的に展開。2000年より、インターネット上に壮大なブックナビゲーション「千夜千冊」を発表。独自の編集メソッドを伝授する「イシス編集学校」校長。おもな著書は『空海の夢』『日本流』『花鳥風月の科学』『フラジャイル』『ルナティックス』『日本という方法』『17歳のための世界と日本の見方』『誰も知らない世界と日本のまちがい』『山水思想』ほか多数。


第1回 「神と交感する漢字」--->G 0427
1970年(昭和45)、世間に白川の存在を知らしめ、大きな衝撃を与えた1冊の本が出版された。「文字は神とともにあり、文字は神であった」で始まる『漢字』である。その最大の発見は「サイ」。多くの漢字の一部になっている「口」の形を「クチ」ではなく、神への祝詞を収める器(サイ)と解読した。それにより漢字の生い立ちが、もつれる糸がほぐれるように解けていった。白川が打ち立てた斬新な文字学の世界に誘う。

第2回 「白川静という奇蹟」--->G 0601
86歳にして独力で「字統」「字訓」「字通」の字書三部作を完成させた白川の生涯を貫いたのは、「日本とは何かつきつめたい」という情熱だった。青年白川は、日中最古の詩集『万葉集』と『詩経』の比較を志し、文字の真の意味に迫った。その学説は学会に否定され続けるが、わが道を邁進。正月三が日以外は研究室にこもり、学園紛争の全学ストライキの時でさえ、白川の研究室だけは夜遅くまで明かりがついていたという。前人未到の偉業を成し遂げた、反骨の学者魂に迫る。

第3回 「古代中国に呼吸する」--->G 0774
1928年(昭和3)、3千年前の中国の古代王朝、殷の都(殷墟)が発見され、甲骨文字が刻まれた亀の甲羅が大量に出土。白川は2万枚に及ぶ甲骨文をトレースし、文字に込められた真の意味を解明していった。「」は神が昇降する梯子の形。この部首をもつ漢字は、神聖な場所を意味する。「犬」は神への生贄に使われた犬の姿。悪霊を祓う意味を持つ。 謎に包まれていた3千年前の古代社会が、声を上げて飛び出してくるかの迫力に満ちた「白川文字学」の真髄に迫る。

第4回 「漢字=日本の文字革命」--->G 0689
白川は漢字研究を通じ、絶えず日本を見つめていた。漢字と接した古代日本人はまず万葉仮名を発明、続いて音読みと訓読みを作り、さらに平仮名と片仮名を開発。その文字革命が松尾芭蕉の俳句など、日本独特の芸術的な表現世界を生んでいったと指摘した。しかし、明治時代には漢字廃止論が議論され、戦後は漢字制限が行われた。これに一貫して反対し、漢字文化の復権と東洋の回復を訴え続けた白川の思いを見つめる。
(text from NHK site)

<第4回のみ、ごく軽い映像ノイズあり>
NHK教育 25min 2008-02-05〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1) --->G
第1回と第2回・・・2008-04-28〜(総合での再放送)





●知るを楽しむ 私のこだわり人物伝 「色川武大 穏やかにアウトロー」 柳美里(作家)

作家・柳美里さんが、同時代を生きた作家の中で一番会いたかったという色川武大(いろかわ・たけひろ)。なぜそれほどひかれるのか。それは色川の持つ振れ幅の大きさだという。作品に描かれる生と死、色川と阿佐田、そして病による狂気と正気…。誰をも魅了する穏やかな人柄の一方、薄皮一枚めくればあふれ出る、戦中戦後の闇、そして人の狂気を静かに描いた異形の作家。作品を読み解き、関係者と対話しながら、柳さんが色川の魅力に迫る。
−−−−−−−−−−−−−
1968年、神奈川県生まれ。作家。高校中退後、劇団「東京キッドブラザース」に入団。女優、演出助手を経て戯曲を書きはじめ、作家となる。93年、『魚の祭』で岸田士戯曲賞を最年少受賞、96年、『フルハウス』で野間文芸新人賞、泉鏡花文学賞受賞、97年、『家族シネマ』で芥川賞受賞、01年、『命』で編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞受賞。その他の著書に、『男』『魂』『生』『声』『石に泳ぐ魚』『8月の果て』『雨と夢のあとに』『山手線内回り』などがある。最新刊は『柳美里不幸全記録』。

第1回 「闇を照らす闇」--->G 0628
色川は生涯、ナルコレプシーという病を負った。突然訪れる猛烈な眠気と幻覚。正気と狂気の間を行き来しながら、世間からはぐれそうになりながら、なんとか渡りをつけて生活をしていく。その精神世界が最も色濃く描かれたのが、最晩年の小説『狂人日記』。柳美里さんが一番好きな作品だという。人とは何かを描きながら、どこか遠くからそれを冷ややかに見ている色川文学。その真髄を『狂人日記』の世界に読み解く。

第2回 「父という名の屈託」--->G 0878
色川文学のキーワードは「屈託」だと柳美里さんはいう。例えば『怪しい来客簿』の登場人物はみな屈託を持ち、不器用にしか生きられず、消えていった者たちだった。その色川の屈託の原点は父親にあると柳さんは見る。96歳まで生きた父親を色川は終生のテーマとし、作品に描いた。元軍人の父親は44歳で授かった長男(色川)を自分の理想どおりに育てようとする。3歳頃から読み書きそろばんを教え、小学校の授業にもついてきて後ろで見ていた。しかし、色川は中学さえ卒業できず、道を外していった。自らも破滅的な父親との葛藤を抱えた柳さんが、色川が描いた屈託の闇を探る。

第3回 「不良のアイドル」--->G 0101
色川の家はいつも玄関のドアが開けられ、24時間、客人が訪れた。時には酒場、時にはサロン、そして賭博場にもなった。そうした客人の1人だったミュージシャンの井上陽水さんは、色川に「アイドル」のように憧れ、色川邸に通い詰めていた。陽水さんをして「アイドルを追いかけ回す女の子と同じ状態」にさせ、「虚にして実、実にして虚」と言わしめた人柄。陽水さんとの対話を通して、柳美里さんが人間・色川武大の魅力に迫る。

第4回 「ノーと言えない男」--->G 0408
作家・色川武大の人生のかたわらには、常に1人のパートナーの存在があった。妻の孝子さんである。懐の深さと優しさで皆をひきつけた色川だが、その裏には想像を絶するほどの病気の苦しみ、そして他者を気遣うあまり生じるうっ屈があった。誰も知らなかった心のうち、多くの人に愛されたが故に尋常ではなくなっていった夫婦の日常。孝子さんとの対話を通して、柳美里さんが色川の素顔を探る。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 25min 2008-03-04〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1) --->G
第1回・・・2008-05-30(総合での再放送)





●知るを楽しむ 人生の歩き方 「石川文洋 戦場を撮る 人間を撮る」

1965年から68年までサイゴン(現ホーチミン)に在住し、ベトナムの戦場を撮り続けた報道写真家・石川文洋さん(現69歳)。ベトナム以外にも、これまでに数多くの戦場を取材した。戦争を写すとき、石川さんの視線は常に、そこに生きる人々の暮らしに向けられてきた。なぜ写真を撮るのか。なぜ戦場を写すのか。石川さんの視線のありようと、報道写真家としての「世界の切り取り方」を、数多くの写真と共に見ていく。
−−−−−−−−−−−−−
1938年、沖縄県生まれ。報道写真家。
毎日映画社、香港のファーカススタジオ勤務を経て、65年からフリーランスのカメラマンとしてベトナムのサイゴンに滞在。4年間にわたってサイゴン政府軍、アメリカ軍の軍事作戦に従軍し、ベトナム戦争最前線を撮り続けた。その後、朝日新聞社勤務を経て現在はフリー。『写真記録ベトナム戦争』『琉球舞踊』『ベトナム 戦争と平和』『沖縄 わが故郷』『戦場カメラマン』『日本縦断 徒歩の旅』『アジアを歩く』などの著書や写真集がある。


第1回 「ベトナム戦争最前線へ」--->G 0018
石川文洋さんは26歳のときから4年間、南ベトナムに住みながら、ベトナムの戦場を撮った。戦場の兵士たちと共に歩き、戦火の中で生きる人々を見つめた。そこで見た戦争の真実。小鳥を飼う心優しいベトナム人が、残酷な兵士に一変する。憎み合う同胞の姿、戦場のアメリカ兵の姿に、戦争とは何か、人間とは何か、という問いが上がる。ベトナムの戦場を駆けた青年期の、「心の動き」についてうかがう。

第2回 「“報道写真家”という仕事」--->G 0069
新聞社のカメラマンとなった石川文洋さんは、戦争終結後も、ベトナムへの再訪を続けた。戦場で出会った人々との再会を果たしながら、ベトナムに残る深い戦争の傷跡を記録した。ホーチミンの戦争証跡博物館では、石川さんの写真が貴重な戦争の記録として展示されている。そこには「今のベトナムの若者が知らないベトナム」の姿がある。43年に渡って、今もなぜベトナムを撮り続けるのか。

第3回 「私の原点」--->G 0520
石川文洋さんが46歳の時、日本は豊かさを獲得し、激動の時代は過ぎ去っていた。石川さんは自由に世界を歩きたいと新聞社を退社する。旅から旅へのフリーカメラマンの生活で、新たな「感動」を探して歩き続ける。石川さんの原動力は「何でも見たい」と思うこと。そのために自分の足で歩き続けることの大切さについてうかがう。

第4回 「鎮魂の四国遍路」--->G 0456
2005年、石川さんはベトナム戦争終結30周年式典に招かれる。そのとき『ベトナムで取材中に亡くなったジャーナリストの仲間たちに、今のベトナムや日本の様子を報告したい』と思った。翌2006年から四国遍路を開始し、仲間の冥福を祈る徒歩巡礼の旅を始める。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 25min 2008-03-05〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1) --->G
第3回・・・2008-05-28(総合での再放送)





●知るを楽しむ 私のこだわり人物伝 「カラヤン 時代のトリックスター」 天野祐吉(コラムニスト)

20世紀のクラシック音楽界に君臨し、“帝王”と呼ばれたオーストリア出身の指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤン。ベルリン・フィルを自在に操り、華麗で力強い指揮とカリスマ性溢れる風貌で圧倒的な名声を得た。アナログ・レコードが全盛の時代にあって、いち早くCDや映像メディアに関心を抱き、クラシック音楽の大衆化にも甚大な影響力をもったカラヤン。指揮棒を振り下ろした瞬間、夢遊病者のように目を閉じ、ひたすら自己の音楽世界に耽溺するその独特の指揮スタイルは、新しい時代の指揮者像を鮮烈に創り上げた。
生誕100年を迎える2008年、“帝王”カラヤンに今一度スポット・ライトをあて、“カリスマ”不在と言われる現代にカラヤンが遺した残照を様々な角度から再考する。
−−−−−−−−−−−−−
1933年、東京都生まれ。コラムニスト。明治学院大学中退。創元社、博報堂を経て独立、マドラ出版を設立し、1979年に「広告批評」を創刊。同誌の編集長を長く務め、広告に対する評論活動を行う。現在は該博な知識を生かしてコラムニストとして活躍。クラシック音楽にも造詣が深く、独自の視点で作曲家や演奏家を論じている。また、中学・高校時代を過ごした愛媛県松山市にある松山市立子規記念博物館の名誉館長も務める。主な著書に『私説広告五千年史』『天野祐吉のことばの原っぱ』『広告論講義』などがある。


第1回 「複製芸術の扉をひらく」--->G 0035
20世紀は科学技術の世紀。コピー文化の異常な発展を見た世紀でもある。「オリジナル対コピー」の固定的関係が崩れていく時代の先端をカラヤンはひたすら走り続けた。フルトヴェングラーやワルターといった、戦前に活躍した巨匠たちが皆一様に“生演奏・コンサート”の価値にこだわり、演奏のコピー、即ち録音を拒絶・否定していた時代そのものをアンチテーゼとして捉えたカラヤン。レコード会社と綿密な商業戦略を練り上げ、次々と新しい録音を発表し、一躍その名を世界にとどろかせた。

第2回 「聴かせる指揮 見せる指揮」--->G 0959
録音メディアだけではなく、カラヤンはクラシック音楽の映像化にも異常な執着をみせる。映像監督として自ら指揮をとり、オーケストラを幾何学的に配置するなど、斬新な手法で次々と映像作品を録画した。
カラヤンは映像メディアに対する飽くなき執念を終生燃やし続け、81歳で亡くなる直前までその制作に携わった。「指揮者は役者でなければならない。聴衆は指揮者の演技の向こう側に音楽を見ているのだ」。“聴かせる指揮”から“見せる指揮”へ。カラヤンは耳で聴く音楽を目で見るものへと変貌させた。

第3回 「集団創造のマジック」--->G 0483
指揮を志す者は全て影響を受けると言われる華麗なカラヤンの指揮。本来、コミュニケーションの手段として大きな力を発揮する目を閉じて、ひたすら音楽に集中する。その独特の指揮は、当初からオーケストラを困惑させた。しかし、楽団員一人一人の心をつかむコミュニケーション術は巧みだった。集団創造の現場、すなわちオーケストラをどう掌握し、自分のメディアとして活用していくのか。カラヤンが楽団員たちに駆使した言葉のマジック、コミュニケーションの秘術を追跡する。

第4回 「誰のための音楽」--->G 0999
「クラシック音楽を“おじや”のようにぐじゃぐじゃにすることが大衆化ではない。カラヤンは“炊きたてのご飯”のように、クラシック音楽をパリッとしたまま大衆に提供した」と語る天野祐吉さん。その厳格な情報コントロールから、生前はその私生活や人柄などが伝えられることはなかったカラヤンだが、死後に発表されたドキュメンタリーからは、“帝王”の人間味溢れるキャラクターと音楽に対する信念が記録されていた。
(text from NHK site)

ノイズなし 第1回
NHK教育 25min 2008-05-01〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1) --->G
ノイズなし 第2・3・4回
NHK教育 25min 2008-06-05〜(2008-05-01〜の総合での再放送) --->G
Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1)





●知るを楽しむ 人生の歩き方 「荒木経惟 顔がイノチ!」

写真家・荒木経惟さん。還暦を越えても、独特のエロスと情愛で、裸体や猫、花、都市 など日常の風景を切りとる姿は健在だ。 67歳の今も果敢に疾走し続ける「天才・アラーキー」はいかにして育ち大成していったのか。最新の活動に密着、ロングインタビューも交えながらお伝えする。
−−−−−−−−−−−−−
1940年、東京下町の三ノ輪生まれ。写真家。千葉大学工学部写真印刷工学科卒。64年『さっちん』で第一回太陽賞受賞。71年、妻・陽子さんとの新婚旅行を題材にした『センチメンタルな旅』を自費出版。ハダカから風景スナップなど幅広い作品にくわえて、「写真は私事だ」「男と女の間には写真機がある」など独特の発言がメディアの注目を集め、“天才アラーキー”の名は一気に広まる。90年代後半からヨーロッパで注目され、毎年のように大きな写真展が開かれている。還暦を過ぎた今も、そのエネルギッシュな活動はとどまることを知らない。著書・写真集も300冊以上ある。

第1回 「日本の顔」■ --->C 0630 ノイズ
第一回は、荒木さんが6年前から取り組む「日本人の顔」。21世紀の日本の肖像を撮影するという壮大なプロジェクトだ。そのほとんどは、「笑顔」が写されている。「私」「死」「生」を彷徨いながら、実験的な作品を世に問い続けてきた荒木さんが、なぜ今、改めて日本人のポートレートに向き合おうとしたのか。しかもなぜ笑顔にこだわるのか。「日本人の顔」を中心に、還暦を過ぎても進歩を続けるアラーキーの魅力に迫る。

第2回 「下町の顔」>録画忘れ
1964年、荒木さんは下町の子ども達を撮った情感あふれる作品「さっちん」で第一回太陽賞を受賞。写真家としてその名を世間に轟かせた。東京の下町、三ノ輪で生まれ育った荒木さんは、今も当時と変わらず、その頃の湿度や体温が感じられる東京の路地裏風景や名も無い市井の人々を撮り続けている。荒木さんがどんな少年時代を過ごし、いかにして写真家の道を目指すことになったのか。天才アラーキーを形作っているバックボーンを過去にさかのぼって探る。

第3回 「女の顔」■ --->C 0681 軽いノイズ
風景や顔や花、ありとあらゆるものを被写体として独自の作品を作り続けている荒木さんだが、絶対に外せないのが女=エロス。荒木さんの撮る女性の写真は、セクシーの範疇を超え、見る者を引き付けて止まない不思議な湿度と熱を内包している。自ら「女は大好き、惚れた女こそがアタシの才能を育ててくれる。」と公言する荒木さんが考える女性の魅力とはいったい何なのか。今は亡き妻、陽子さんの話を交えつつ写真と女性の関係についてうかがう。

第4回 「死の顔」■ --->C 0760 ノイズなし
一見、豪放磊落に見える荒木さんだが、その作品の多くは「死」の匂いが漂っている。両親や、妻 陽子さんの死を題材にした写真集「冬の旅」、作家の故杉浦日向子さんや歌人の宮田美乃里さん等、大切な人との別れまでも作品にしてしまう壮絶なエネルギーはどこから生まれるのか。そして死の場面を切り取る時に何を感じるのか探る。
(text from NHK site)

<回により受信障害で映像全体に軽いノイズあり>
NHK教育 25min 2008-05-07〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1)





●知るを楽しむ 人生の歩き方 「水木しげる 百歳まで生きるでしょう」

独特の言動で、出会う人を幸せな気分にさせる水木しげるさん。若い頃の壮絶な軍隊体験、その後の極貧生活、そんな中でものんきな「水木サンのルール」を信条としてきた水木さんにどうすれば人は幸せになれるのか?を語っていただく。
−−−−−−−−−−−−−
1922年、鳥取県生まれ(大阪で生まれた翌月、両親とともに鳥取県へ帰郷)。漫画家。50年代から紙芝居や漫画を手がけ、やがて「ゲゲゲの鬼太郎」「悪魔くん」「河童の三平」などのヒット作を次々と世に送り出す。また妖怪が出てくる漫画のほかに、幼少時代の暮らしを描いた「のんのんばあとオレ」や戦争体験を描いた「総員玉砕せよ!」のような自伝的な作品やエッセイにも根強い人気がある。65年「テレビくん」で第6回講談社児童漫画賞、90年「昭和史」で第13回講談社漫画賞を受賞。91年紫綬褒章、2003年旭日小綬章受章。

第1回 「好きなことだけしていた」--->C 0277 ノイズなし
少年時代水木さんは、地元で評判の大食児だった。気ままで自分本位、絵を描いたり何か集めたり好きなことだけにとことん熱中する「水木サンのルール」を幼少期に確立、小学校入学を1年遅らせるほどだった。お手伝いにきていた「のんのんばあ」に「あの世」について聞かされ「人間は死ぬとどうなるんだろう」と弟を使って実験しようとして両親に大目玉。楽しさいっぱいの少年時代。

第2回 「ビンタか死か」--->C 0398 ごく軽い
就職しては次々クビになり、折しも太平洋戦争がぼっ発。なにかというと「非常時」が決まり文句。「出征すれば間違いなく死ぬ」とニーチェやゲーテをよみふけっていた。しかし、21歳で赤紙がくる。のろまな初年兵はビンタの嵐で激戦地ラバウルに送られてしまう。爆撃に会い、死にものぐるいの逃避行で左腕を失い、やっと帰り着いた隊で「なぜ死なずに逃げたのか」の一言に、心がプツンと切れた。そんな水木さんを救ってくれたのが、現地のトライ族ののんきな人々との交流だった。

第3回 「鬼太郎誕生」--->C 0484 ノイズなし
戦後は、食うための格闘だった。闇屋、魚売り、輪タク、結局好きな絵が描ける紙芝居作家となったが、これが食えない。結婚した布枝さんも驚く貧乏生活。安く買った腐る直前のバナナで腹を満たし、税務職員に「家族が食べていける所得じゃない」と疑われるほど。極貧生活が40歳すぎるまで続き、次第に陰惨な作品が増えていく。しかし、好きな絵だからと書き続けた。そんな中でついに「墓場の鬼太郎」が誕生する。

第4回 「なまけ者になりなさい」--->C 0172 ノイズなし
「鬼太郎」が大ヒットしてからは、収入は安定するものの超多忙な日々が待っていた。ラバウルの部隊仲間と再会したことがきっかけで、ラバウルに30年ぶりに再訪する。昔のままにゆっくりのんびりと暮らすトライ族の人たちと久しぶりに会ったことで、水木さんは、「多忙と不安にさいなまれて生きるのはもうコリゴリ。のんきな『水木サンのルール』をとりもどそう」と決意。仕事を減らし妖怪探しの旅へ。水木さんは生きていることの幸福を味わうことの大切さを説く。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 25min 2008-06-04〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1) --->C

DR-351に関連ドキュメントあり: NHK SPECIAL 「鬼太郎が見た玉砕」 〜水木しげるの戦争〜





●知るを楽しむ 人生の歩き方 「仲代達矢 一人では歩けなかった」

1932年、東京生まれ。俳優・無名塾塾長。52年、俳優座演劇研究所付属俳優養成所入所。舞台「幽霊」のオスワル役で頭角を現し、『どん底』『リチャード三世』などの舞台で芸術選奨文部大臣賞、紀伊国屋演劇賞ほか数々の賞を受賞。小林正樹監督の『人間の條件』『切腹』、黒澤明監督の『用心棒』『影武者』『乱』など、日本を代表する数々の映画作品に出演。NHK『新・平家物語』『大地の子』などのテレビドラマでも人気を博す。75年から妻・恭子さん(故人、女優、脚本家、演出家)とともに俳優を育成する「無名塾」を主宰。著書に『遺し書き(のこしがき)』などがある。

第1回 「からだひとつで生きるには」--->C 0855 ノイズなし
仲代8歳の時に会社経営をしていた父の死が訪れ、会社は倒産、仲代は母と兄弟3人で暮らす事になる。学歴は定時制高校卒。コンプレックスに悩む仲代を救ったのが役者への道だった。役者であれば学歴がいらないと考え、エキストラに応募するが連続でオーディションに落選。諦めかけていた時に初めて採用されたのが黒澤明監督の「七人の侍」だった。黒澤のおかげで仲代は役者の厳しさと充実感を教えられた。以後、数々の名作で二人はタッグを組む。

第2回 「妻・恭子との出会い」--->C 0908 ノイズなし
仲代の妻・恭子。仲代23歳の時、俳優座養成所で活躍していた彼女と出会う。その年、舞台の共演がきっかけで恋に落ちた二人は2年後に結婚する。仲代の才能に惚れた恭子は女優を辞め、家庭に入った。二人は連日、演技論を闘わせた。恭子とともに演技を磨いた仲代は役者として大成、黒澤だけでなく、成田巳喜男、小林正樹、市川昆など錚々たる監督から注目を集める様になる。妻と二人三脚の順風満帆の人生。しかし子供を欲したが願いは叶わなかった。

第3回 「役者を育てる」--->C 0985 ノイズなし
仲代達矢43歳、妻の恭子とともに俳優を育てる私塾「無名塾」を設立。幾多の苦労を乗り越え役者になった自分と同じ様に、愚直に演技を追い求める役者を育てたいとの思いからだった。千名の応募者から数名が選ばれた。仲代は無名塾に没頭、厳しい指導方針を貫く。しかしあまりに厳しい為、脱退者が相次いだ。仲代は人を育てる難しさを知る。しかし仲代はその方針を変えなかった。揺るがず、ぶれない事が人の心を掴むと思ったからだ。

第4回 「後ろ姿を見せながら」--->C 0699 ノイズなし
仲代達矢64歳、最愛の妻・恭子がガンで他界。仲代は孤独を感じる。役者すら辞めてしまいたいと仕事を一切断った仲代。しかし生きる意味を再発見した。それは「役者こそ我が天命」。翌年、一人でも続けていく覚悟を披瀝した。そして一年ぶりに復活。再起に選んだ石川県能登文藝堂は、2年前、恭子が脚色・演出した舞台「ソルネス」で柿落としをした思い出の舞台だった。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 25min 2008-06-18〜(2008-04-02〜の総合での再放送) --->C
Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1)





●知るを楽しむ選 私のこだわり人物伝 「横溝正史 日本を見つめた探偵小説家」

1962年大阪府生まれ。小説家。87年同志社大学法学部政治学科卒、同年4月中部読売新聞(現読売新聞中部支社)入社。89年同社退職。2004年『ハゲタカ上・下』(ダイヤモンド社)でデビュー。『ハゲタカ』とその続編『バイアウト』は、07年2月〜3月NHK土曜ドラマとして放映された。主な著書に『ハゲタカ』(ダイヤモンド社/講談社文庫)、『虚像(メディア)の砦』(角川書店/講談社文庫)、『マグマ』(朝日新聞社/朝日文庫)、『バイアウト上・下』(講談社/『ハゲタカU』として講談社文庫)など。現在「小説現代」にて「ハゲタカ」第三弾となる「レッドゾーン」を連載中。6月より「週刊ダイヤモンド」で新聞社買収をテーマにした新作の連載を開始。7月には中国の五輪と原発を舞台にした小説『ベイジン』が東洋経済新報社より刊行予定。

第1回 「今こそ『獄門島』を読め!」--->D 0030
世界中のミステリーを読破した真山さんが、横溝の魅力が凝縮していると語る「獄門島」。終戦直後、孤島の旧家を舞台に、跡目争いという因習の元に起きる殺人事件を描く。犯行を予感させる島の描写、誰もが怪しい登場人物の設定、耽美的な遺体の描き方。俳句に解決の糸口を見つける見事な見立て。第一回は真山さんが「獄門島」を徹底的に読み解き、西洋の模倣を脱して「日本独自のミステリー」を目指した横溝の意図を探る。

第2回 「逆境に燃えた小説家魂」--->D 0200
横溝の作家人生の原点は「結核」と「疎開」。血を吐きながらも原稿を執筆する執念は、初期の代表作「鬼火」に結実する。そして戦時中、ミステリーの禁止という失意の中、 岡山に「疎開」。その雌伏の時間が「犬神家の一族」や「八つ墓村」などの名作につながっていく。逆境をバネにした横溝の小説家魂を語る。

第3回 「名探偵 金田一耕助」--->D 0687
横溝正史が生み出した名探偵金田一耕助。江戸川乱歩の明智小五郎に代表される洋服を身に纏いハイカラでモダンな探偵とは異なり、ボロボロの和服に下駄という出で立ち。 金田一は戦中、戦後の混とんとした時代と向き合い、急激に変化を遂げる日本に敢えて背を向けて日本人の存在感を放ち続けた。横溝が金田一耕助に託したメッセージを読み解く。

第4回 「時代を超越した小説」 対論: 角川春樹 --->D 0766
探偵小説の大家として不動の地位を築いた横溝正史。1960年代に入ると、松本清張を中心として社会派推理小説が台頭し、世間から忘れられた存在になっていた。その忘却の闇から横溝を表舞台に引き出したのが角川春樹さん。角川さんに当時のエピソードを伺うとともに、改めて今、横溝作品を読むことの意味を語る。
(text from NHK site)

ノイズなし
NHK教育 25min 2008-07-29〜(2008-06-03〜の総合での再放送) --->全D
Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1)





●知るを楽しむ 人生の歩き方 「



第1回 「■


第2回 「


第3回 「


第4回 「


(text from NHK site)

<回により受信障害で映像全体に軽いノイズあり>??
NHK教育 25min 2008-06-〜 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 解説副音声 (MPEG-1)








ページ先頭へ