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●経済ドキュメンタリードラマ ルビコンの決断 「青色発光ダイオードを作った男・中村修二」 (前編)

電球と違って球切れの心配がないうえ、見やすい「発光ダイオード(LED)」は、交通信号機にも利用され、将来的には次世代DVDにも応用されるといわれている。LEDは、大きな省エネ効果が得られるため、地球温暖化問題の解決にも大きな期待が寄せられている。LEDは、徳島県阿南市にある蛍光体メーカーの日亜化学工業が世界に先駆けて製品化に成功した。その研究グループの中心にいたのが中村修二(松村雄基)である。光の三原色の赤・緑・青の中で製品化できなかった青色(発光ダイオード)を発明したことでどのような色の発光体も可能になったのである。中村修二はどのように発明に成功したのか?ノーベル賞に最も近い男と言われる科学者の発明を追った。
(text from TV-Tokyo site)

<受信障害により映像全体に、少しザラついている>
テレビ大阪 54min 2009-07-30 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->EL1200





●経済ドキュメンタリードラマ ルビコンの決断 「青色発光ダイオードを作った男・中村修二」 (後編)

日亜化学工業のサラリーマン研究者として働いていた中村修二(松村雄基)は、1993年、青色発光ダイオードの実用製品化に世界で始めて成功した。その後、日亜化学は飛躍的な成長を遂げた。1999年、中村は日亜化学を退職し、翌年、カルフォルニア大学サンタバーバラ校教授に就任し研究活動を再開した。その年、日亜化学は米国で、中村修二を機密漏えいで提訴。中村は「やられたら、やりかえす」と、2001年、東京地裁に日亜化学を相手取り「404特許」をめぐって裁判を起こした。中村にはカリスマ弁護士と言われた升永俊英氏(寺田農)が代理人として立ち、日亜化学側と対決した。2004年、東京地裁は日亜側に対し、中村が発明したツーフロー方式装置の発明対価として200億円を支払うよう命じる判決を下した。この判決を不満とした日亜側は、控訴し、弁護団を総入れ替えして、広報対策を見直す戦略に打って出た。装置の発明のために大きな設備投資があったこと、大きなリスクをとってきたことを主張。巻き返しを図った。そして遂に高裁は和解勧告を示した。発明の対価をめぐる歴史的な裁判の行方は、企業、サラリーマン、報道、法曹界に大きな衝撃を与えたのだった。
(text from TV-Tokyo site)

<受信障害により映像全体に、少しザラついている>
テレビ大阪 54min 2009-08-06 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->EL1200





●経済ドキュメンタリードラマ ルビコンの決断 終戦特別企画
「困難の時こそ夢を持て」 〜テレビで経済復興を目指した男・松下幸之助〜

昭和20年8月15日終戦、その後、廃墟と化したこの国はどのようにして立ち直ったのだろうか?今回の「ルビコンの決断」は、終戦直後からの経済復興に焦点を当てた。経営の神様・松下幸之助がこの時代をいかに生き、当時の松下電器(現パナソニック)を飛躍させたのか?幸之助を通じて、日本経済の復興を描いた。松下電器社主・松下幸之助は、終戦直後、全社員を集めて、軍需から民需への転換で日本再建に尽くすという方針を打ち出した。ところがそんな幸之助に対し、公職追放命令が・・・。ここで幸之助を救ったのは松下労組だった。組合員が談判し、後に、公職追放は解除、幸之助は経営に復帰することが出来た。昭和26年1月、幸之助は米国を訪問、ここで豊かな家電生活を見て衝撃を受けた。米国では普通のごくサラリーマン家庭に、テレビや冷蔵庫、掃除機などの家電製品があったからである。幸之助は家電製品の技術格差を欧米並みにすれば日本人にも家電製品が広まる時代が来るのではないかと考えた。 帰国した幸之助は、テレビの生産を目指した。昭和28年にはテレビ放送が開始されることになっていたのである。松下電器は、オランダの家電メーカー・フィリップスとの提携交渉を開始した。テレビに必要な真空管などの技術供給を得るためだった。太平洋戦争では敵対国だったオランダ企業との交渉は厳しいものとなった。多額の技術提供料を求めるフィリップスに対し、幸之助は逆に経営指導料を求めるという強気の交渉を展開した。そして執念は実る。昭和27年、フィリップスとの合弁会社松下電子工業が誕生した。幸之助は提携の成功に甘んじず、庶民にも手が届く価格を目指してテレビ受像機の量産化を目指す。まもなくしてテレビブームが巻き起こり、皇太子御成婚パレードや長嶋茂雄が活躍した天覧試合などがお茶の間のテレビから流される時代がやってきた。日本経済の戦後は「庶民の豊かさ」が終らせた。幸之助が残した言葉は、21世紀の今でも多くのビジネスマンに受け入れられている。リーマンショックで打ちのめされた企業や働く人々が後遺症にあえぐ現在の日本経済。戦後の復興期をはい上がった松下幸之助の生き方を見ていくことによって、復活へ向けたヒントを探し出すことが出来るかもしれない。
(text from TV-Tokyo site)

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テレビ大阪 54min 2009-08-13 Air check by Sony Giga Video Recorder v4 Stereo (MPEG-1) --->EL1200











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